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忍諏訪東照宮
 

 行田市は埼玉県北西部に位置する人口8万7000人の都市である。この地域は古代「忍庄」と言われ、行田、谷郷、長野、上中条、小曽根、下川上地域が属していた。戦国時代,行田周辺の武蔵武士の中から、現在の熊谷市上之を本拠地とする成田氏が台頭し、忍城(おしじょう)を築城した。文明11年(1479)の古河公方足利成氏の書状に「忍城」、「成田」とでてくることから、このころには築城されていたと考えられる。当時の城主は成田顕泰といい、以後親泰、長泰、氏長と四代にわたり、天正18年(1590)まで、約百年のあいだ成田氏が忍城主であった。

 永正6年(1509)、忍城を訪れた連歌師の宗長は、城の四方は沼にかこまれていて、霜で枯れた葦が幾重にもかさなり、水鳥が多く見え、まことに水郷である、と日記に書いている。
 忍城の築かれた場所は、北は利根川、南は荒川にはさまれた扇状地で、小さな川が乱流するとともに、伏流水が寄り集まって広大な沼地となっていて、そこに残る島や自然堤防をたくみに利用して、忍城が築かれた。別名「浮き城」としてその名を轟かせ、関東七名城に謳われた戦国の世を生き抜いた名城で、行田市各地域に点在する神社も忍城防衛の一拠点として築かれたと考えられる。

所在地   埼玉県行田市佐間1-10-6

主祭神   菅原道真公

社 格    旧佐間村鎮守 行田八幡神社の兼務社

        
*兼務社  神職が本務の神社以外の神社を兼務する場合
               その社を「兼務社」という。
  

例 祭    例大祭9月25日   八坂祭7月中旬の土・日

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佐間天神社

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 社多度社・一目蓮社
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行田総鎮守  西向き八幡

由緒等不明
本殿奥にある稲荷社
拝殿横にある塞神

拝 殿

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 樹齢四百年以上の大欅群で最大目通り約四メートル、高さ二十メートル。落雷のため幹に洞穴が有るものもあるが、樹勢はきわめて旺盛で、その絶対的な存在感は一見の価値がある。
 利根川と荒川の流れによって形成された沼湿地の中にある台地上に、忍氏は館を築いていたが、成田下総守親春がこれを攻略し、この辺一帯を統一した。成田氏は延徳年間に忍城を構築し、この時、持田村の鎮守諏訪社を城鎮守として移したのが当社であると伝えている。
 そのため持田村は新たに鎮守を勧請したという。現在の持田字竹ノ花の諏訪社がこれである。その後、成田氏代々の崇敬があり、城は、天正18年石田三成の 水攻めにも耐えたが、やがて開城し徳川家康入国後は江戸北方の防衛拠点として親藩や譜代の大名が入った。寛永16年城主となった阿部忠秋は城郭を修築し、 併せて正保2年当社の本殿を再営、寛文一二年拝殿を新たに建立した。
 文政年中松平忠義は伊勢桑名から移封するに当たり、城内字下荒井の地へ東照宮を、更に城内へ多度社と一目連社を勧請した。これらは明治6年城郭取り壊しの 際、当社境内に移される。また、城内各所にあった小祠、科斗社・八幡社・久伊豆社・荒神社・春道稲荷大明神・神明社・二ノ丸稲荷大神・天神社・両棟稲荷大 明神の九社も同時に当社へ合祀された。                                                                     (埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
境内社多度社・一目蓮社
多度社・一目蓮社
御祭神 天津彦根神、天目一固神
現在の場所より西北に200m程の所に文政6年(1823年)、松平忠堯は、伊勢国多度山より城内に勧請。当時の境内は300坪程あり、例祭(5月5日)には神楽殿で「能」が演じられたという。
忍藩は忍宝正の名があり、宝正流の能が盛んだった。
明治6年、現在地に遷座。
折雨や海上の風難、水火の災いに霊験あるとされる。                                                        (境内掲示より)

 佐間天神社の創建は忍城主の成田氏が忍城築城の折、谷郷、春日社、西を城の没沢の取入口とし、天神坊を出口としたと伝えられている。その天神坊を慈眼山安養院の守護神として天神社を勧請した。今から500年前のことである。享保5年12月(1720)京都の唯一神道、吉田殿より「正一位天満天神」の神格を与えられた。その後、文化10年8月25日(1800)本殿が再建された。本殿に安置される天神座像は春日の作と伝えられている。又、境内の欅の樹齢は行田市教育委員会の推定によると400年とされている。
佐間天神社には学問の神様、菅原道真公が祭神として祀られている。以前は慈眼山安養院が神護神であったが、その様子は今でも白山社、伊奈利社、厳島、明 神・・・等の合祀社が多く両部神道の名残を留めている。神門は安政3年(1850)の大火で類焼したがここで火が止まった為、火防の門と呼ばれた。
明治22年、佐間村、成田町、行田町が合併し忍町となり、妙音寺にあった温知学校を廃止し、天神社社務所に佐間学校が開校した。正式には忍学校第三教場と言われた。大正4年3月、行田尋常小学校第三校舎(現在の新町会館)が新築されるまでここに存在したのである。

天神社の行事
・大祓式(6月30日、12月31日)
・八坂祭(7月中旬の土、日)
・例大祭(9月25日)
・新嘗祭(11月23日)
・勧学祭(12月初旬)
・元旦祭(1月1日)
・初天神祭(2月25日)
・初午祭(3月第1午の日)
特に八坂祭、元旦祭は大いににぎわいを見せている。この様に、古い歴史を持つ天神社は佐間地区の鎮守として広く人々から信仰されている。(境内掲示より)

名称 佐間天神社のケヤキ
    (さまてんじんしゃのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 30m(注1)
目通り幹囲 5.0m(注1)
推定樹齢 400年以上(注2)
所在地の地名 埼玉県行田市佐間1丁目
 〃 3次メッシュコード 5439−13−57
 〃 緯度・経度 北緯36度08分02秒
           東経139度27分41秒
行田市指定天然記念物(1964年1月31日指定)(注3)

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版U」による
注2)1991年3月に行田市教育委員会が設置した案内板による
注3)「けやき群」として境内のケヤキの大木群を一括指定
 社多度社・一目蓮社の案内板
境内には社多度社・一目蓮社他多数の境内社が鎮座する。
   忍諏訪神社 東照宮の案内板
 当社の鎮座は後鳥羽天皇の建久年間(1190)に忍三郎ら忍一族が創建したという。成田親泰が忍城を構築した際に当社を城鎮守とした。
 文政6年(1823)に松平忠堯が伊勢桑名から移封するにあたり東照宮と桑名鎮守の多度・一目連社を勧進。これらは明治6年に当社境内に移されるとともに、その他の社を配祀した。
 社殿は昭和36年の造営。村社。
 照宮祭神: 徳川家康命・松平忠明命・八幡大神
 忍東照宮は家康の娘、亀姫が父の肖像を頂き、それを子の松平忠明に伝え、忠明が大和国郡山城で社殿を造営したことに始まっており、のちに当社に合祀された。
八坂社(写真右側、絵馬が一杯ついている社)

総町神輿(百貫神輿)を祀る。
・ 諸災消除のこ神徳がある。

水神社(中央掲示板の左側にある小さな社)

御井神・水波能売神・水分神 
みくまりのかみ)を祀る。

       大国主神社・恵比寿神社

 大国主神社(おおくにぬしじんじゃ)

 
大国主神(おおくにぬしのかみ)を祀る。
 ・ 福徳の神、えんむすびの神として信仰が厚い。
 恵比寿神社(えびすじんじゃ)
 
事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀る。
 ・ 商工業繁栄の守護神、商売繁盛の神として信仰 される

        愛宕神社

軻遇突智命(かぐつちのみこと)を祀る。
防火の神。

 当神杜は、元和・宝永・弘化の年間における行田町大火の際、再三の類焼の災禍に会い、旧記重宝等を焼失して御創祀の次第は判然と致しませんが、口碑によると源頼義・義家が、奥州討伐のためこの地に滞陣した折、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられています。
 当初、佐間村田中に鎮座、俗に田中(でんちゅう)八幡と称せられました。
 天文年中に、現在の地に移されこの時、忍城主成田下総守長泰公は深く当杜を崇敬して社殿を修補し城下総鎮守といたしました。是れより、「城主八幡」また社殿の向きから.「西向き八幡」の名があります。
 爾来、代々城主の尊崇篤く殊に阿部豊後守は、八幡大神の御神像を奉献し、次いで阿部正識(まさつね)公も自筆の額を御献進されました。
 社殿の造営は、元和五年再営、宝永年間焼失、宝永四年再建、宝永五年幣殿・拝殿を再建、弘化三年行田大火により杜殿全焼、その時、町全体が焼失、氏子による社の再営が不可能となり祀職家にて同年本殿を再建。
 現在の社殿は、皇紀二千六百五十年を記念して造営が進められ、平成元年十一月の竣功であります。次いで平成十二年には参集殿が竣功いたしました。

拝殿の拝殿の右側にはこんもりとした丘があり、
その頂上部には浅間神社の石碑があった。

両部鳥居からみた拝殿。左側が道路。社殿は南向き

所在地   埼玉県行田市荒木2091  

主祭神   菅原道真公

社  格   旧荒木村鎮守
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                祭神は菅原道真

 1720年に京都神道吉田家より正一位の神格を与えられた格式高い神社。写真の拝殿は1800年の再建。
 境内には神楽殿、社務所のほか、伊奈利神社、白山、厳島、明神社などの末社が鎮座している。
諏訪神社に隣接した二の丸稲荷社

鳥居より拝殿を撮影

行田八幡神社の案内板

    拝殿(左側)と参集殿 
非常に綺麗で整備が行き届いている

行田八幡神社

伊奈利神社

三峰社

      水城公園の東南角に佐間天神社が建つ。
 1491年の忍城築城の際、出口の守護神として勧請されたもの。写真は神門。
 1850年の市内大火の時、ここで火が止まったので「火防の門」と呼ばれる。
神楽殿

  諏訪曲輪御門跡
諏訪神社拝殿。こちらは独立した神社

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所在地   埼玉県行田市本丸12-5

主祭神   東照宮   徳川家康命、松平忠明命  八幡大神
        諏訪神社 健御名方命、八坂刀売命

社 格    村社  

例 祭    東照宮   5月17日
        諏訪神社 9月27日 
由緒
 荒木天満天神社の創建年代や由緒については不詳だが、新編武蔵風土記稿に記載があり、
旧荒木村鎮守で、東福寺が別当を務めていたという。
欅群(けやきぐん)     行田市指定文化財(昭和39年1月31日指定)

 
天神社は、享保5年(1720)12月京都の吉田家より神位を与えられ、
正一位天満天神と称するようになった、との記録がある行田市佐間地区の鎮守です。
祭神は学問の神様として信仰されている菅原道真です。
その天神社境内に9本の巨木が群生するこの欅群は、いずれも樹齢400年以上と推定される古木群です。
樹高は高いもので30m、目通り幹周は最大のもので5.0mを計ります。
落雷のため幹に空洞があるものがありますが、樹勢は旺盛で、枝張りもよく繁茂していて、
神域の風致を保っています。また、秋には美しい紅葉が見られます。
                        平成23年          行田市教育委員会
 所在地   埼玉県行田市行田16-23

 主祭神   誉田別尊   第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神)
         気長足姫尊 仲哀天皇の皇后 安産、子育ての神
         比亮大神   主祭神の妻や娘、宗像三神の説もあり
         大物主神   蛇神、水神、雷神、稲作豊穣の神、疫病除けの神
                  酒造り(醸造)の神、国の守護神

         神素羞鳴尊  嵐・暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神
                  安産の守護神

 社 格    行田総鎮守

 通 称    西向き八幡  封じの宮   

 例 祭    例祭9月15日、祈年祭3月15日、行田八坂祭7月下旬土・日
         愛宕神社祭10月23日など 

佐間天満社は、秩父鉄道行田駅から南に徒歩15分、水上公園東側に鎮座する。


      瘡守稲荷社と目の神社

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る。
食物の神、おでき・吹き出物・湿疹の神として信仰がある。

      拝殿 珍しい西向きの配置 
  西の方角に忍城があるためと言われている

荒木天満天神社

 荒木天満天神社は国道125号バイパス小見(南)交差点を左折、道なりに真っ直ぐ直進すると5分足らずで鎮座地に到着する。神社の入口はやや狭いので出入りの際には注意が必要だが神社の境内は広く、駐車場の関係を除けば、開放的な空間といい、そこそこ立派な神社ではないかと思った。

              鳥居と拝殿 
徳川家康を祀る「東照宮」も合祀されていて、鳥居も二社連名になっている

境内掲示による佐間天神社の由緒

境内は決して広くないが、境内社は数多く鎮座している。

 案内板の左隣にあった忍城鳥瞰図
 雨の日だったし、忍諏訪神社 東照宮は午後4時で門が閉まっており参拝できなかった。そこそこに帰ろうとして、神社前の駐車場に戻ったところ、片隅に石碑が立っていた。そこには「諏訪曲輪御門跡」と掘られていた石碑があった。
正木丹波守が激戦を繰り広げた「佐間口に鎮座する神社
本 殿
拝 殿
             三峯社

 伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざな みのみこと)を祀る。
 三峰「永信講」で組織される。

 熊谷市から国道125号線で行田市方向に向い、「行田郵便局入口」の信号を右折し、同左郵便局を通りすぎると左側に当神社がある。
 駐車場は、参集殿の前の道路沿いにある。よく整備されていて便利である。