九州福岡県宗像市に鎮座している宗像大社は式内社(名神大社)で、旧 社格は 官幣大社。日本各地に七千余ある 宗像神社、厳島神社、および 宗像三女神を祀る神社の総本社である。全国の弁天様の総本宮とも言われ、また別名裏伊勢と称されている。この社は航海の安全を祈願する神社で、主として瀬戸内海沿岸や近畿地方の海沿いの地域に多く存在する。
 宗像大社は、「鎮護国家・皇室守護および後悔の神として朝廷からも崇敬されたといい、庶民からも漁業・航海・交通の神として信仰を集めてきた。全国の厳島神社も宗像三女を祀っているという。なお、宗像系の神社は、全国6千社あり5番目に多いとされている。

 ところで埼玉県は出雲系の社が多い県だが、この寄居町藤田地区にもこの宗像神社が鎮座している。(他にも大宮氷川神社の境内社、また大宮土呂地区等に宗像神社は存在する) この寄居町の宗像神社は、奈良時代の大宝元年(701年)に荒川の氾濫をしずめ、船や筏の交通を護るため、九州筑前(福岡県宗像市)の宗像大社のご分霊を移し祀ったものであるとのことだ。考えてみると地形的にも遠い福岡県宗像市と埼玉県寄居町が、神社で結びついている。なんと不思議な縁ではないだろうか。

 目次
   宗像神社  /  玉淀水天宮  /  桜沢八幡大神社


                           宗像神社
                              地図リンク
                                                                      
荒川北岸に鎮座する埼玉の竜宮城

                                         


                                      所在地    埼玉県大里郡寄居町藤田274

 
                                      御祭神    多記理比売命 狭依毘賣命 多記都比売命(宗像3女神)

                                      社  挌    旧村社

                                      神  徳    国家鎮護、交通安全、醸造守護、五穀豊穣、金運・財運の
                                               隆昌、芸能・稽古事成就、立身出世、長寿延命、災難除け、他

                                      例  祭    春祭 4月3日、秋例祭 11月3日


 宗像神社は埼玉県寄居町藤田地区に鎮座する。埼玉県道30号飯能寄居線を国道140号方面に向かい、左手に寄居町立寄居小学校を過ぎてから国道手前の細い十字路を左折し道なりに真っ直ぐ進む。2,3分進むと八高線の踏切があり、その先左側に宗像神社は鎮座している。駐車場は神社正面入り口、鳥居の向かい側の公会堂と、その隣にある数台駐車できるスペースがあり今回は集会所の駐車場に停め参拝を行った。

                     

                          入り口付近を撮影                       一の鳥居                     鳥居の先右側にある案内板
 
 
宗像神社

 宗像神社は、奈良時代文武天皇の御代大宝元年(701年)に荒川の氾濫をしずめ、舟や筏の交通を護るために、九州筑前(福岡県宗像郡)の宗像大社の御分霊を移し祀ったものです。
 宗像大社は、文永弘安の役(蒙古襲来)など北九州の護りや海上の安全に神威を輝かしていました。
 この地に御分霊を移してからは、荒川の流れが定まり、人々の崇敬を篤くしました。
 藤田五郎政行が花園城主(平安時代)として北武蔵一帯を治めるにあたり、ここを祈願所とし、北条氏もまた祈願所にしていました。
 春祭は4月3日、秋の例祭は11月3日で、当日は江戸時代から伝わる山車7台を引き揃え、神幸の祭事がにぎやかに行われます。
 なお、拝殿には寄居町出身の名彫刻家、後藤功祐の彫った市神様社殿があり、町の指定文化財として保存されています。
 祭神は、天照大神の御子である多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、狭依比賣命(きよりひめのみこと)、多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)です。
        
 寄居町・埼玉県
                                                                                                       案内板より引用

 
 この荒川はその名称通り、古来から「荒い川」であったという。その為か宗像神社は荒川のすぐ北側に鎮座している。宗像神社の由緒等を記した案内板とおり、「荒川の氾濫をしずめ」、「舟や筏の交通を護るため」、この地に海上安全の神として有名であったこの社の御分霊を移し祀ったということは道理であるし納得できることだ。


                                  
  
                                            拝     殿               拝殿の右側手前にある町指定文化財 
                                                                       旧市神様社殿の案内板

 旧市神様社殿

 寄居町出身の彫刻家後藤功祐によって明治初期に作られたとされる、高さ約1.2メートルの社殿です。
 正面の屋根が曲線形に手前に延びて向拝(ひさし)となる「流造」と呼ばれる構造を持ち、細密な彫刻が全体に施されています。
 旧寄居町市街地の開拓当初には、市神様としてまつられ、商業の守り神として多くの人の信仰を集めていましたが、明治四十二年に小社合祀を行った際、ここに移され、現在は拝殿の中に保管されています。
 平成9年1月   寄居町教育委員会
                                                                                                       案内板より引用

                                                

                                                          宗像神社 本殿

 宗像神社の創建の由来として意味深いことを記述しているホームページがある。それによると寄居の中心を流れる荒川は、大雨の後には必ずといってよいほど氾濫し、流域に住む人々は、毎年のように、洪水の被害を被っていたといわれて、口伝によればそうした荒川を鎮め、舟の運行の安全を祈り、人皇第42代文武天皇の大宝元年(701年)に宗像大社(福岡県:沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮の総称)のご分霊を祀ったものと伝わっている。

 しかし、大宝元年(701年)以降、資料等で宗像神社という名は、明治の神仏分離まではないようで、かわりに「聖天宮」の下社として繁栄してきたという記録が残っている。
 
 聖天宮は、弘仁十年(819年)に弘法大師が修行中に寄居を訪れ、象ヶ鼻の荒川岸壁の岩を見て、大海を渡る巨像の姿を思わせるということから、そこを霊地とし自ら聖天像を彫り、その後、その地に住む人々が、祠堂を設けてお祀りしたことに始まったと伝わっている。聖天宮は、男体を祀る上宮と、女体を祀る下宮があり、上宮が象ヶ鼻に、下宮が宗像神社と配祀されていた。聖天宮は、武将の信仰も厚く藤原基経、源頼義、源義家が戦勝を祈願したといわれ、また、鉢形城主の北条氏邦も、聖天宮を城の鎮守としていて、その後徳川将軍家からも代々御朱印をうけ、二十石を除地として与えられていた。そういった聖天宮の繁栄から、宗像神社という名よりも、聖天宮下宮としての記録が多く残っているものと考えられている。ただ、聖天宮の信仰が盛んであった時代も宗像大社になぞらえ、下宮を辺津宮、下宮にある弁天社(現在の摂社にあたる厳島神社)を中津宮、上宮を沖津宮と呼んでいたようで、宗像神社としての信仰がそういった形で残っていたようだ。


 埼玉県、特に秩父地方を包括するこの北埼玉地方には古来より「聖天信仰」が深く土着、信仰されている何よりの証拠であろう。

 また社境内には神池があり、弁天池と呼ばれている。神池の中に島があり、厳島神社が祀られている。現在は御祭神は宗像神社と同じだが、江戸時代までは弁天社としてのお参りが絶えなかったと伝えられている。
 これは宗像神社の主祭神の狭依毘賣命は、又の御名を市寸島比売命と言い、弁財天と同神と考えられていることからもそのように推察されたようだ。


                    

                         拝殿の左側にある御興殿           社殿左側で、道路沿いにある八坂神社    境内社である長男神社・丹生神社・罔象神社等

                                  

                                     社殿右側にある弁天池と厳島神社        厳島神社の隣、高台に鎮座する境内社
                                                                    金刀比羅宮(左)、琴平神社(右)
                                
 宗像神社の例大祭は、毎年春と秋に行なわれる。春季例大祭は、4月3日に神社で祭典が行われ、祭典のみで鳳輦、山車の渡御等は行わない。秋季例大祭は11月第1日曜日とその前日の土曜日に行われる。近年の取り決めにて渡御、還御は順次の通り行われる。年番町は、本町、中町、栄町、武町の四町内が交替で行い、付祭りの際は、本町から武町の間が歩行者天国となり、各町山車は、その中で曳きまわしを行う、大変盛大なお祭りのようである。筆者は残念ながら実見したことがないので、今度ゆっくり体現してみたいものだ。



                                                

                                                 宗像神社の隣を通り過ぎる八高線を偶然撮影

 宗像神社は大宝元年創建という歴史ある社はもちろんのこと、現在でも五穀豊穣、家内安全、交通安全の神として、また寄居の鎮守として、地元の人々から信仰されている。大切にしたい日本文化の財産がここにも存在する。







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 水天宮は、日本全国にある神社である。天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)を祀るが、これとは異なる祭神の水天宮もある。
 仏教の神(天部)である「水天」の信仰は、神仏習合時代には「水」の字つながりで「天之水分神・国之水分神」(あめのみくまりのかみ・くにのみくまりのかみ)と習合していた。ミクマリノカミは本来は子供とは関係なかったと思われるが、「みくまり」の発音が「みこもり」(御子守り)に通じるというので「子育て」の神、子供の守り神として信仰されるようになった。

 現在では水と子供を守護し、水難除け、農業、漁業、海運、水商売、また安産、子授け、子育てについて信仰が厚い。水天宮の縁日は毎月5日(5日・15日・25日とすることもある)であるが、犬のお産が軽いことにちなみ、戌の日は安産祈願の人で賑わう。
                                                                                                   ウィキドペディアより引用


                              玉淀水天宮
                                    地図リンク

                                                


                                      所在地   埼玉県大里郡寄居町寄居703

                                      御祭神   不明

                                      由  緒   県指定名勝玉淀の下流で発見された水神様を水天宮として改め、
                                              水難よけや安産、子育てなどを祈願して昭和6年に始められました。
                                              寄居玉淀水天宮祭の付け祭りとして行われる花火大会と舟山車の
                                              共演は“関東一の水祭り”と呼ばれています。 平成12年実施の21
                                              世紀に伝えたい寄居景観ベスト10の第1位となっています。
                                                                    寄居町観光案内より引用

                                      例  祭   水天宮祭 8月の第1土曜日


 玉淀水天宮は国道254号を寄居方向に向かっていき、信号機のある「露梨子」(つゆなし)の交差点十字路を右折して寄居の街中に入っていく。荒川に架かる正喜橋を越えてすぐのコンビニエンスのある十字路を右折してしばらく走ると左側に水天宮が見えてくる。但しこの道は道幅が少々狭く、また水天宮祭花火大会の規模に比べて以外に社自体は小さい。駐車場や専用駐車スペースもないので、前述のコンビニエンスに駐車し参拝を行った。

                                  

                                          玉淀水天宮 正面               鳥居の左側に掲げてある案内板

玉淀水天宮

 昭和6年にこの地が「玉淀」(県指定名勝)と命名された後、神社の設置の話がもちだされ、探したところ川に面したところに石の宮があるのが発見されました。これは俗にいう水神様といってこの地方の漁師たちがお祭りして、水難除けの神様として信仰していることがわかり、当時の玉淀保勝会が直ちにこの水神の神体を基として水天宮を祀りました。

水天宮の縁日は毎月「五」の日であるというので、最初の大祭を昭和6年8月5日に挙行し、現在は8月の第1土曜日に盛大に行われています。祭事のあと「つけまつり」として、町内別の供奉船が花やボンボリちょうちん等で飾りたて、笛、太鼓等ではやしながら玉淀を遊覧し、多数の煙火が打ち上げられます。夏の祭りの美観は実にみごとなもので、寄居町の年中行事のもっとも大きい祭りとして、また、埼玉県内としての大祭の一つに数えられています・
現在、水天宮は、水難除けと安産の神様として広く信仰されています。
                                                                                                 玉淀水天宮案内板より引用

 
                                  

                                          こじんまりとした拝殿               拝殿上部に掲げてある扁額

 玉淀水天宮はなんでも通称「本宮」といい、「奥の院」があるという。なんでも当地周辺が玉淀と命名されて埼玉県名勝に指定されたとき、神社設立の話が持ち上がり、周辺調査をしたところ、水神が発掘されたことから、水神を神体として創建したという。この水天宮の荒川に面した斜面の一角に石祠があるのだがそれが発掘された水神であり、ここが「奥の院」であろう。
(後で知ったのだが、奥の院は、その後の洪水の時流されてしまったので、現在のお宮はその後あらためて立てられたものだということ)


                                                

                                                        玉淀水天宮 奥の院

 ところで鉢形城跡の前に広がる荒川の河原は通称「玉淀河原」と言われ、秩父山地から関東平野に流れ出る荒川が作り出した特徴的な地形で、奇岩・絶景の景勝地として昭和10年に県指定の名勝となった。アユなどの釣りをはじめ、川遊びやデイキャンプなどの行楽の場として人気だ。毎年8月の第1土曜には玉淀水天宮祭を開催。数百の提灯で飾られた舟山車が出て、約5000発の花火も打ち上げられる。河岸には桜並木があり、春は花見客で賑わう観光スポットとしても有名だ。

                                         


                                      玉淀水天宮奥ノ院の前面に広がる荒川の風景。玉淀河原はこの上流部にあたる。







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 寄居町は埼玉県の北西部、都心から70km圏に位置している。荒川の中流域で長瀞のすぐ下流に位置し、 その左岸に街が発達する。古く秩父往還の街道筋にあり、秩父の山間部と荒川下流の平野部とを結ぶ物資輸送の拠点であり、また宿場町として栄えた。
 街の対岸にはかつて鉢形城があり、古くから地の利を生かした要害の地でもあり、城下町であった。 現在でも国道140号・国道254号及びJR八高線・東武東上線・秩父鉄道が接続する交通の要衝地となっている。この国道の合流地点に桜沢八幡大神社は鎮座している。


                         桜沢八幡大神社
                                    地図リンク
                                                          交通の要衝に鎮座する意味合いの深い八幡神社

                                                


                                            所在地   埼玉県大里郡寄居町桜沢3827

                                            御祭神   天照大神  誉田別命

                                            社  挌   不詳

                                            例  祭   10月15日


 桜沢八幡大神社は寄居警察署の東側に位置し、国道140号線、254号線、県道62号線の合流地点傍に鎮座している。背後に戦国時代の山城があったという鐘撞堂山を配し、その山脈の稜線上に社が形成されている。ちなみに鐘撞堂山には名前の由来があって、戦国時代に寄居鉢形城の出城があったところで、敵の来襲を知らせるため鐘を撞いたことから鐘撞堂山と名付けられたと言われている。
 桜沢八幡大神社の社殿に通じる参道の全ては石段であり、また社殿も神楽殿も境内も綺麗に整備されている。駐車場は一の鳥居のすぐ右側に比較的広い駐車場もあり、そこに駐車して参拝を行った。


                    

                                    

                                             拝    殿                         本    殿

 桜沢八幡大神社の祭神は品陀和気命(応神天皇)で、新編武蔵風土記稿による八幡大神社の由緒はこのように記述されている。

(桜澤村)八幡社
 村の鎮守なり、山崎八幡と云、猪俣党山崎三郎左衛門尉・小野光氏の霊を祀れり。由て此神号ありと近郷山崎村は此光氏の奮蹟にや、福泉寺の持。(新編武蔵風土記稿より引用)


                                   

                              拝殿の手前にある神楽殿。神楽殿は石段下に配置され         境内社  詳細不明 
                                    拝殿に正面を向いているように見える。





                                        
  

                                               もどる                   toppage