古社への誘い 


祓戸大神    


         
       祓戸大神の4神のうち気吹戸主を祭神とする今城青坂稲実池上神社

  【祓戸大神】

 
祓戸大神(はらえどのおおかみ)とは、神道において祓を司どる神である。祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神という意味である。

 神職が祭祀に先立って唱える祝詞である「祓詞」では「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」と言っており、祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をしたときに化成した神々の総称ということになる。

 なお、この時に禍津日神、直毘神、少童三神、住吉三神、三貴子(天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊)も誕生しているが、これらは祓戸大神には含めない。「祓詞」ではこの祓戸大神に対し「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ」と祈っている。

 『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うこともある。これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神で、「大祓詞」にはそれぞれの神の役割が記されている。

・ 瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
・ 速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
・ 気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して   根の国・底の国に息吹を放つ
・ 速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れを  さすらって失う

 速開都比売を除いてこれらの神の名は『記紀』には見られず、『記紀』のどの神に対応するかについては諸説あるが、上述の伊邪那岐の禊の際に化成した神に当てることが多い。



祓戸大神は、個人や社会の禍事(まがごと)や罪、穢れを祓うお祓いと禊ぎをつかさどる神であり、

・ 禍事というのは曲がっていること
・ 罪とは、汚れに包まれていること、汚れが積もっていること

・ 穢れとは、気枯れといって、「気」が枯れている状態のことで

 人間など、個人でも社会の大小の組織でも、最初のうちは真っ直ぐで正しく進んで行く気持ちでいても、時間が経過するといつの間にか曲がってしまい、偏ってしまう。ましてやそれが慣例化して、曲がっていることも気づかずに、最終的に行き着くところまで堕落してしまう。祓戸大神は我々が犯した罪や心身のけがれを
祓いによって人の道を踏みはずすことなく、自分の従事する仕事に励み、家族ともども健康で、世のため人のために尽くすことができるように心身を自浄(リセット)させてくれる神である。



ところで前段でも紹介したように、祓戸大神の4神の役割には順番があり、

 
@ 世の諸々の過事と罪、穢れを瀬織津比売が川に洗い流して
 
A 速開都比売が河口で受け取って海底に沈めて
  B 
気吹戸主が海底から根の国・底の国に禍事・罪・穢れを送り込んで
  C 
速佐須良比売穢れ等全て一網打尽に浄化し、世の中をリセット(再生)する

 
という一連のプログラムを実行することによって常に世の中の秩序、道徳等が守られるというものらしい。祓戸の大神のうち三神が生命を育む女神であり、川は飲み水、海は生命の根源として、また、呼吸は人間に不可欠なものであり、霊界はこの世を裏で支える存在として、それぞれが私たちにとって大切なものだ。まさしく人間だけでなく、地球上の生命にとっても根源的なご神徳を備えた神々が祓戸の大神で、いわば自然の自浄作用のようなものを具現化した神なのではないだろうか。 


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