古社への誘い 

神道(しんとう・かんながらのみち)

          
 古来日本には森羅万象に神が宿ると定義付けられ、唯一絶対の神は存在しなかった。日本人にとって神は、自身を守る大いなる大地であり、時として、災いをもたらす祟の神だった。  


1 神道とは
 
 神道とは、日本に仏教が入る以前から国土で芽生え、我が国土のほど好い自然環境が育んだ日本固有の信仰であり、仏教の釈尊、キリスト教のイエス・キリスト、イスラム教のマホメットのような創始者の存在しない自然発生的な信仰を源としている広い意味での宗教である。
 この自然発生的信仰とは、私達の遠い祖先等、今から一万数千年前までも遡る縄文時代に、縄文人に人としての意識が芽生えはじめた頃、この太古の人達の、ごく平凡な日常の営みの中で、誰しもが共通に抱いた信仰が集約化されたものであろう。
 神道は、
祖先崇拝の信仰と、自然崇拝の信仰とを、二本柱としている。これは、自然発生的な縄文の信仰が、神道に継承されている証拠でもある。

 神道はその歴史的な起源から特定の教義や聖典をもたない宗教で、神ながらの道(=人の意志を加えず神意のままに)といわれる所以である。 また唯一的絶対神(全知全能の神)を持たない信仰の自由度の高い多神教の宗教であり、山や川、森、岩、野生動物、気象(自然災害)など自然の万物に宿る「八百万の神(やおよろずのかみ)」を崇拝するものである。また死んだ祖先や人間(英雄)が神々になるという思想も神道には含まれている。自然界の森羅万象や祖霊、死者、皇祖(天皇家の祖神)への畏敬の念が神道の信仰基盤であり、神道において人間が守るべき徳目はシンプルに『
浄明正直(浄く明るく正しく直く)』としてまとめられている。
 
 神道は日本人の生活文化の中から生れ育ち、生活様式の中で変遷してきた信仰のため、ある特定の教祖が創唱した他宗教のような統一した教義や教典を有しない が、あえて神道的教義を見い出そうとすれば、古事記や日本書紀また各神社に伝わる祭りの中に内在しているといえる。
尚、これらの古典や祭りの神道的教学を集約したものに、古来の伝統に立脚し、実践すべき規範として以下の
「敬神生活の綱領」という日常生活の中で神々への信仰を有する生き方への指針がある。

敬神生活の綱領
 神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。 神慮を畏み、祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは使命を達成する所以である。ここにこの綱領をかかげて向うところを明かにし、実践につとめて、以って大道を宣揚することを期する。
 ・ 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以って祭祀に いそしむこと
 ・ 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
 ・ 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること 

 神道と他宗教との違いは
 
 神道は日本国民の生活文化そのものであり精神生活の基本であり、正月の初詣や七五三詣、神前結婚式、初宮参り、七五三、成人式、安産祈願、合格祈願など、神社に出掛けて祈願する行事は日本文化の中に定着しており、意識するしないにかかわらず、わたしたちは日常生活の中で神道に接している。こうしたことから、神道は意識的な宗教行為としてよりも、長い伝統の中で習慣化された儀礼行為としての要素が強く、先進国唯一の国家レベルでの文化となっていることである。

 また八百万の神々を信仰の対象とする多神教であり、絶対神をいただく一神教と異なり他宗教、他文化の受け入れに寛容であるという平和理念を有することである。「神道とは何か」という問いには、専門家でもなかなか明確に答えることができないようで、このことは、特定の教祖や経典を持たない、自然に出来上がった民族宗教の特徴ともいえる。それゆえに、歴史の中で仏教と融合することもできたのであり、現在でも仏壇と神棚が同じ屋根の下に設けられるなど、他宗教と並存することもできる懐の広い教義とも言える。


3 神道の用語解説

禊・祓(みそぎはらえ

 禊とは神聖な水に浸かって心身の穢れを洗い清めることであり、祓とは社会の掟を破った者に対してその社会の神または人々の前に犯した罪に相応した贖い物を出させてその罪を解除すること。(イザナギノミコトの阿波岐原における禊及びスサノホノミコトの罪を犯しての祓が起源説話)古代においては禊と祓は別のものであったが、中世以降に倫理的、精神的な祓を行う様になり、現代に至っては禊と祓は不離一体のものである。正直・清浄をその最重要徳目とする神道において禊・祓は極めて大切な行ないである。

くにたみも常にこころをあらわなむ 身もすそがわの清きながれに
(明治天皇御製)


大祓詞(おおはらえのことば)
 
延喜式にある最古の祝詞といわれ、中臣氏が宣読した祝詞で中臣の祭文とも称される。六月と十二月の大祓式に人々が過ち犯した雑々の罪穢れを祓い清め、清き明き心に立ち帰って、雄々しくそれぞれの使命に邁進するべく唱えられる。祝詞の内容は建国の由来から始まり、天皇の統治せられる国内に国民の過ち犯かせる罪穢れが発生したならば、古伝の祓い行事をなし、そうすることにより祓いを司られる神々が罪穢れを消滅させてくださり、清明なる世界が現出すると流麗なる大和言葉で綴る。私心を去って清明心に立ち帰り、神慮を和め、あらゆる祈願の趣旨が通ると信ぜられ、中世以来神道の経典と尊ばれ、あらゆる機会を通じて繰り返し誦読される。

言霊(ことだま)
 人の発する言葉の中にこもる精霊、またその威力をいう。
言語の霊力を信ずるのは人類的発想であるが、我が国にあっては神々、貴人の発する聖なる詞が祝詞(のりと)、寿詞(よごと)、呪言(とごと)、唱言(となえごと)、語言(かたりごと)等とよばれ、特定の言語表現にこもるとされる。

そらみつ倭の国は皇神のいつくしき国 言霊のさきはふ国とかたりつぎ
(万葉集)

荒魂(あらみたま)・奇魂(くしみたま)
 人は万物と同じく宇宙の元霊神=天御中主神の霊を受けておりこれを直霊(なおび)と称する。
この直霊を四つ(四魂)に分けて考え、勇猛進取な魂の働きを荒魂(あらみたま)、平安柔和な作用を和魂(にぎみたま)と呼び、更に和魂が不思議な働きをする場合を奇魂(くしみたま)、人間生活に幸福をもたらす働きをする場合を幸魂(さきみたま)と称する。
伊勢の内宮では直霊としての天照大神を祀り、別宮荒祭宮にその荒魂が祀られている。

三種の神器
 ヤタノカガミ、アメノムラクモノツルギ、ヤサカニノマガタマを三種の神器と称する。
これらの神器は歴代の天皇の皇位継承のみしるしとされ、神鏡は皇大神宮の御正体として、御剣は熱田神宮の御正体として、また神璽は宮中にてお祀りされている。
神器の意義について
北畠親房は「鏡は私の心なく万象を照らす、即ち正直の意。
剣は剛利決断の徳あり、即ち知恵の意。
玉は柔和善順の徳あり、即ち慈悲の意」
とその神皇正統記に記している。

神勅(しんちょく)
 神の発せられる詞又は命令を意味し、代表的なものとして開闢(かいびゃく)神話における地上世界秩序建設の神勅
宇宙の元霊神たる天御中主神(あめのみなかぬしのかみ、日雲神社御祭神)をはじめとする天神(あまつかみ)によるイザナギ、イザナミ二神への「この漂える国を修理固成(つくりかためなせ)」との御神勅。この神勅により、宇宙の元霊力を受け継がれた最高最貴の天照大神が御出現になり、地上世界を主宰される。この天照大神の霊力を受け継がれているのが直系のご子孫である世々の天皇であらせられる。
●天孫降臨神話における三大神勅
天原から葦原中国(あしはらなかつくに=日本列島)への天孫降臨にあたり天照大神からの神勅であり、宝祚無窮(ほうそむきゅう)の神勅
「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治(し)らせ。行(さき)くませ。宝祚(あまつひつぎ)の栄え隆えまさむこと当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)りなかるべし。」(=この日本の国は天照大神の直系の子孫たる代々の天皇さまが統治されるべき国であるとのおことばであり、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅・天津日嗣(あまつひつぎ)の神勅とも称され、大化の改新、明治維新の断行などの原動力となっている)
同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅
 「吾(あ)が児此(みこ)の宝鏡(たからのかがみ)を視(み)まさん事、当(まさ)に吾(あれ)を視るが如くすべし。与(とも)に床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)を共(ひとつ)にして以ちて斎鏡(いはひのかがみ)と為すべし。」(=神鏡を御正体として祀る皇室祭祀ならびに神宮祭祀の起源をなすもの)
斎庭之稲(ゆにはのいなほ)の神勅
吾(あ)が高天原(たかまがはら)にきこしめす斎庭(ゆには)の稲(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし。」(=五穀を神聖なるものとし、宮中における新嘗祭として実践されている)
神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅=祭祀は皇統の弥栄えを基本とすること)
侍殿防護(じでんぼうご)の神勅=国民は皇室への忠誠を怠らぬこと)を併せて五大神勅という。 

御師(おんし)
 平安時代末期より神宮と全国の崇敬者との間を取り持ち奉仕する神職のことで、全国から多くの崇敬者の真心を受け入れ、参宮の案内や自邸の神楽殿での神楽や祈祷を司り、全国津々浦々に赴いて祈祷を行い、伊勢参宮へ人々を導き、神宮の御神徳を各地に広めた人々で、このとき崇敬者のために御師がお祓いし、祈祷をこめて頒布した「大祓大麻」が現在の神宮の神札「神宮大麻」の起源とされる。

鎮魂(ちんこん)
 タマシズメともいわれる。身体に宿っている御魂を振起して生命力を旺盛にしたり、外部の強い威力を持つ魂を身体に取り入れて生命力を強化すること、或いは魂が遊離しないように身体に鎮めること等を意味する。日雲神社では神道体験入門にて鎮魂法を指導している。

神葬祭(しんそうさい)
 神道による亡き人を送る葬送の儀式をいう。今日では葬儀=仏教が一般化しているが、古来より我が国には人は神より生れ出でて、死後は祖霊を経て神になるという信仰があり、この日本固有の神道起源の祖霊崇拝に基づく神道式葬儀をいう。おごそかな儀式で、しかも質素なことから近年神道式葬儀が増える傾向にある。日雲神社では神葬祭の奉仕はもとより、他宗教にて葬儀をされた方でも古来よりの祖霊信仰に基づきその神霊をお祀りしてる。




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