武蔵国 延喜式神名帳
延喜式神名帳とは
延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされ ていた全国の神社一覧である。延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜内式社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社 (しきしゃ)といい、一種の社格となっている。
延喜式がまとめられた10世紀初頭に当時の最高権力者である朝廷が正式に認めた神社で、延喜式の完成時点(延長5年=927年)に確実に存在していたことがわかり、今日までその神社が継続しているのであればそれだけ歴史のある由緒正しい神社であり、当時においても有力な神社であったと思われる。
不思議なことだが、式内社3132社の神社の祭神に律令国家の長である天皇一族を祀ったのが一社も含まれてなかったのである。本来ならこの神社が最も多い筈なのに、少いどころか皆無である。
ちなみに神名帳には全国3132座の祭神、2861の神社が大略以下のように格付けされている。
1 宮中で神祇官が祀る神 737座(官幣社)
そのうち大社と記載され「幣(みてぐら)を案上に奠(たてまつ)る神」 304座
2 「幣を案上に奠らざる神」 433座
3 宮中ではなく地方の国司が祀る神 2395座(国幣社)
そのうち大社と記載される神 188座
それ以外の国幣の小社 2207座
となっている。
元々「神名帳」とは、古代律令制における神祇官が作成していた官社の一覧表のことで、国・郡別に神社が羅列されており、官幣・国幣の別、大社・小社の別と座数、幣帛を受ける祭祀の別を明記するのみで、各式内社の祭神名や由緒などについては記載がない。それゆえに当時の式内社の後裔として、ほぼ確実視されている神社であっても、その確実な証拠はほとんど無く、伝承により後裔の可能性がきわめて高い論社という扱いとなっている。現代において、延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことを論社(ろんしゃ)・比定社(ひていしゃ)などと呼ばれているが、その論社、比定社が複数になっている神社が多数あることも現実あり、神社自らが式内社であると主張する場合も多く見られる。
古代の研究には欠かせない資料だが、表面上をなぞっただけでは真相が見えてこない資料であり、ますます謎は深まる。
武蔵国には44座の祭神が掲載されており、そのうち2座は名神大である。
(氷川神社、金鑽神社)
そこで、武蔵国の全式内社、合わせてその論社、比定社も記載する。一つの式内社に対して多数の論社、比定社が存在する神社がいかに多いか、お分かりになるであろう。
また末尾には武蔵国一之宮制も紹介する。この一之宮制度も起源を考えると実に不思議な制度で、 『いつ、誰が、何のために、どのようにして』 成立させたかについては一切が不明で謎に包まれている、という。朝廷が制定した正式な法律や制度によって定められていたのではなく、由諸や社勢などによって自然発生的に決まったものであり、時代によって社勢などの原因で一宮が変遷したり、同時期に二つ以上の神社が一宮を争っていたりしたようだ。
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