古社への誘い 



オビシャ神事について

 

       
         玉井大神社の掲示板に書かれている「オビシャ」

「オビシャについて」

 延暦十三年(794)賢憬という僧が當地に滞在中両眼を病んだ。このとき夢の中で告げられた地点に掘った井戸の霊水で眼を洗うと直ちに眼病が治ったという。この井戸の神を祭ったのだ神社の始まりと伝えられる。毎年三月十五日この神社で「オビシヤ」が行われる。これは豊作占いの神事の変化したものといわれすべて謡曲によって進行する祝宴に特徴がある。
                                     
  掲示板より引用

 
 熊谷市玉井に鎮座する玉井大神社の掲示板に「オビシャについて」の説明があったが、そもそもオビシャとはどのような行事(最初は行事かどうかもわからなかったが)なのか調べると以下の様な事らしい。


 オビシャ

  
おびしゃは、関東地方の新年行事で、とくに千葉県の利根川沿いの東葛飾・印旛・香取郡、および九十九里沿岸の山武郡・長生郡地方で多く行われている。
 おびしゃは、神社の他のいろいろな祭りにくらべると、行事が行われる場所は、せいぜい神社の中と社殿の前、氏子の家などで、また、参加する人数も、拝殿に入れる程度で行われるきわめてファミリーでプライベートな行事といえる。

 おびしゃには、
奉射、奉謝、奉社、備射、備社、鬼射、毘舎、毘沙などの漢字が当てられているが、もともとは、「御歩射(おぶしゃ)」が訛ったもので、馬に乗って行われる「流鏑馬」に対し、立って、あるいは座って弓を射て、ぞの命中度で吉凶や豊作凶作などを占う農村の神事である。奉射、備社は神事からきており、また毘舎、毘沙は神仏混淆からきているとされている。

 
今では弓を射ることは少なくなり、単に豊作や安全を祈ったり、村の人たちの酒を酌み交わす場になっているところが増えているといわれており、村の賀詞交歓会、あるいは新年互礼会といったところのようだ。
 


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