古社への誘い 


 羽生市の名前の由来


             
                     大天白神社の手前にある大天白公園



 小松三神社須影八幡神社,大天白神社豊武神社が鎮座する羽生市(はにゅうし)。埼玉県北東部に位置する人口5万7000人の街である。北部には利根川が流れ、利根川を挟んで群馬県に隣接し、また栃木県や茨城県にも近い。地形的でも加須低地の北端で山間部がなく、また、利根川、中川、合の川等、水利に恵まれていたことから、水稲を中心とした農業が盛んで、現在でも県内の米どころである。そして、利根川による自然堤防や水田中に無数に散在する自然堤防の土壌が、綿作や藍作に適していたことから、綿栽培が盛んとなり、青縞が織られ、明治時代には紺屋が300軒余りあったという
         
 
ところで、この羽生の地名の語源は、「埴輪」からきていると言う。「はにゅう」の「ハニ」(埴)は、粘土・赤土を指し、それがたくさん「ウ」(生)まれるということから付いた地名で、「埴輪」+「生」・・・「埴生」となったと事のようだ。事実この地域は「埴輪の産地」という意味で、実際に市内では土器や埴輪が多く発見されている



 
ところで、この「埴輪」の製造で思い出される氏族がいる。その名は土師氏

土師氏
 

 土師氏(はじし)は古代の氏族で、天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。古墳を作ったり葬送儀礼にも携わった。                     
                                                 (ウィキペディアより




 
天穂日命は、天照大神とスサノオの誓約の時に、天照大神のみずらに巻いた珠から成った神で、天忍穂耳命の弟に当たる。この神は、高天原から葦原中国平定のために最初に遣わされた神だが、大国主命に惚れ込んでしまい、3年たっても復命しなかった。仕方ないので、高天原では次に天若日子を派遣するが、これも失敗。最後にタケミカヅチとフツヌシが派遣されて、葦原中国も高天原に従うようになった、という。その後、葦原中つ国平定のために遣わされた2神のうち、天若日子は高木神の還し矢で殺されてしまうが、最初に行きっぱなしになったこの天穂日神は何のお咎めもなし。その後出雲の国に諸神の祖ともいうべき、伊邪那美神を祭神とする神魂神社を建てた。そして、この子孫が代々この神社をお守りするとともに、出雲・武蔵・上総・下総・夷隅・対馬・遠江の国造の祖神となっている。

 
天穂日命はその名の通り天津系だが、最終的に国津系の出雲族に帰属してしまう。(ただし、『出雲国造神賀詞』では異なる記述になっていて、これによれば、天穂日命は地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子をアマテラスにきちんと報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神フツヌシとともに地上を平定した、としている。すなわち、こちらでは地上を平定した偉大な神とされている)
 
 
その天穂日命の14世の子孫であると伝えられる野見宿禰を祖先とする土師氏は、古墳造り、埴輪の生産、葬儀の執行と、葬礼全体にかかわってきた氏族で、古墳時代を通じて勢力を拡大し栄えた。武蔵国において土師氏の勢力は鷺宮、玉敷、前玉等、古利根川流域全体にのぼり、丁度久伊豆神社の勢力圏に重なる。


             
           
               羽生市郊外の田園風景

 
土師氏に関わらず、壬生氏等、古墳時代前後の武蔵国には多くの出雲族の進出があり、今後の進展が楽しみだ。


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